加藤正和の好きなアーティスト 25






安全地帯


日本のロックバンド。1973年にボーカルの玉置浩二およびギタリストの武沢豊を中心に北海道の旭川市で結成。バンド名は、道路交通法による「安全地帯」から命名。北海道内でのアマチュア活動後、井上陽水のバックバンドとしての全国ツアーを経て1982年にシングル「萠黄色のスナップ」でメジャーデビュー。1983年にリリースしたシングル「ワインレッドの心」が71.4万枚を売上、大ヒットとなり、以後「恋の予感」「熱視線」「悲しみにさよなら」「碧い瞳のエリス」など多数のヒット曲をリリース。また1985年にリリースした4枚目のアルバム『安全地帯IV』はオリコンチャートにて週間、年間共に第1位を獲得し累計92.9万枚を売上、大ヒット作品となった。


1988年初秋に活動休止。玉置はソロ活動や俳優業として活動。1990年初夏に活動再開。その後1993年のシングル「ひとりぼっちのエール」を以て再び活動休止。2002年に9年振りにシングル「出逢い」発売後活動再開。その後2003年に3度目の活動休止。2010年にシングル「蒼いバラ」にて活動再開。以降、各メンバーソロ活動と並行してバンドも定期的に活動。



加藤正和。

加藤正和の好きなアーティスト 24





キマグレン 



高校時代、地元の逗子のスイミングスクールで出会い、友人となる。進学・就職等で別々の道に進むが地元の友人として関係が続いていた。ある日、KUREIがISEKIに「海の家を一緒にやらないか?」と持ちかけ、キマグレン結成のきっかけとなる。


ユニット名は、元々ISEKIが「自由に音楽活動をしたい」という意味で付けたきまぐれというソロユニット名義に由来する。KUREIがISEKIに「一緒にやろうよ!」と言って、ライブハウスのブッキング表に誤って片仮名で「キマグレン」と書いてしまったのがきっかけとなり、現在のユニット名となる。


音楽活動と並行して、株式会社音遊を本名名義で運営している(代表取締役は榑井勇輝)。同社により、音霊OTODAMA SEA STUDIOは2009年に5周年を迎え、過去に「音霊 OTODAMA PHOTO STUDIO」「音霊 OTODAMA WINTER STUDIO」「音霊 OTODAMA MIYAZAKI FESTIVAL」「音霊 OTODAMA SKY STUDIO」というシリーズで音霊を出張させている。元になっている企画は、地元の逗子海岸での夏季限定ライブハウス(海の家)「音霊 OTODAMA SEA STUDIO」である。 2010年に「音霊 OTODAMA FOREST STUDIO」という1万人規模の野外フェスを立ち上げる。



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加藤正和の好きなアーティスト 23






Little Glee Monster


ソニー・ミュージックレコーズとワタナベエンターテインメントがタッグを組み、世界に通用する女性ボーカリストの発掘を目的として「最強歌少女オーディション」を実施。当該オーディション合格者を中心に集められた女生徒により、当グループが結成され、「研ぎ澄ました歌声で人々の心に爪痕を残す」をテーマに活動している。


グループ名の中に組み込まれている単語「Glee」は「男声の3部またはそれ以上から成る無伴奏の合唱曲」を指す音楽用語であるが、元々は「心を解放し、歓喜すること」を意味している。また、グループ名の意味としては、「Glee Monster」で歌声だけで人々の心を歓喜させる大物と言う意味になるが、まだ未熟なので「Little」をつけた。


メンバーカラーは、公式マスコットキャラクターの中から各メンバーが自分の好きな色を選んで決定されたものであり、9thシングル「明日へ」発売前後までトレードマークとして各メンバーカラーのヘッドホンを常に着用していた。2017年秋に開催された『Little Glee Monster Live Tour 2017 ~Let's Grooooove!!!!! Monster~』以降衣装としてのヘッドホンは着用していないが、マイクテープやイヤーモニターの色にメンバーカラーが採用されている。



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